東京大学総合研究博物館小石川分館「IMAGINARIA―映像博物学の実験室」
東京大学総合研究博物館小石川分館の常設展示「驚異の部屋―The Chambers of Curiosities」と、それを使ったイベント(?)「IMAGINARIA―映像博物学の実験室」を見てきた。
↑この、池にオコジョ(?)が投影されている写真に心魅かれるものがあったので、夕暮れ時を狙って。
常設展示のされている館内に無数のプロジェクターが設置され、色々な映像が投影されるというイベント。
→会場写真
建物自体も歴史があっておもしろいし、「驚異の部屋」はアートとしても有名になった見ごたえのある展示なので、素材としてはおもしろいのはお墨付き。
そんな薄暗い博物館を歩き回るというのもなかなかできない経験なので、わくわく感はある。
そして、あちこちに色々なサイズや形態での映像投影がされているので、その仕掛けとしての純粋なオモシロさはある。
が、いかんせん、納得いかないというか勿体無いと思ったのは、その映像コンテンツがあまりにも無計画というか、意図なく「ただ延々と流している」だけだったところ。
展示案内によれば映像コンテンツは、研究者、学芸員、学生、映像作家の作品と各地の博物館や美術館の所蔵資料とのことで(おそらく殆どがこの企画のために制作されたものではない)、各所ではそれら数本がローテーションで流されていた。
もしかしたらその映像に意図を持たせないという点に意図があるのかもしれないけれど、だとすればもっと無作為なコンテンツを大量に用意してほしかった。(投影場所と映像作品が決められていたようなので、やはりその意図は無いと思う。)
言い方は悪いけれど、「それっぽい映像流せばそれっぽくなるでしょ」といった態度に見えてしまった。
面白い試みなのだから、最後まで意志を持って(それぞれ、あるいは企画全体を)作品として成立させてほしかった。
確かに、小型プロジェクターを多用していて(EPSONが特別協賛)、怪しげな標本たちの中に紛れ込んだ映像を捜す「宝探し」や、公園の池に土偶やら能面やらオコジョやらが浮かび上がるのはある種のエンターテイメント性はあるのだけれど。
(エンターテイメント性があればいいってもんでもないし。)
ああでも、こういった「作品」としての意図やねらいがない(あるいは見せない?)まま、なんとなく珍しかったりおもしろそうだったりするものを羅列する。というのが、「アカデミックな見世物小屋」といった趣のコンセプトである常設展と通ずるものはあるのかもしれないなと、これを書きながら思う。
ひとつだけ、こっそり展示してあったおもしろい作品があった。
直径20〜30センチくらいの大きなガラスの漏斗が棚の上に伏せてあり、その中にボンヤリ光る小さな物体が。
よくよく見ると、その中にはiPhonかiPodかが置いてあり、その画面の上に円柱状のガラスが乗せてある。おそらく、なんらかの映像をそこで出力していて、それがガラスの円柱に写しだされてボンヤリした光を発しているように見えるらしい。
(わりと高い棚の上においてあるので、端末の出している映像は見えない。)
作品標示もなにもなかったのでゲリラ的な作品なのかも?
そのひっそり感が好感触だった。
それから、この日は観客が小型ポータブルのプロジェクターを持って自由に投影しながら歩き回れる「プロジェクションウォーク」というイベントもやっていた。
参加型の形態は面白いなとは思ったものの、やはり映像の中身については何も考えられてなさそうだったのが残念だった。(映像の中身については選ぶことも出来ず、解説もなく、展示で使っていたものを適当に持ってきていた)
そして、池に浮かぶオコジョは見れなかった。。
(私の見たタイミングではおそらくミドリムシか何かの顕微鏡映像が投影されていたようで、単なる池のライトアップにしか見えなかった。きっと黒背景の物体単体の映像が好ましい)
高嶺格:とおくてよくみえない TOO FAR TO SEE(横浜美術館)
横浜方面の用事があったので、久しぶりに横浜美術館へ。
作家さんについては前知識ゼロでしたが、なんとなくタイトルが気になったので。
面白いなあと思ったのは、巨大な空間でオブジェ、光と文字を使ったインスタレーション作品。
おそらく砂か土を敷き詰められた空間は暗くて全貌が見えない。その中を異動する光が石やオブジェ(壊れた家具や玩具、骨董品のようなもの等)とそこに書かれた文字を映し出す。
「概念」や「共通認識」というようなテーマが、「文字」という「脳の中で変換する」情報と、「物体」そのものを使って(扱うテーマの難しさとは対照的に)小気味良いテンポで提示される。
おそらく「皮肉」なのだろうけど、そのいやらしさは無くて、「見せ方」も上手いので、見る人はぐっと引き込まれてしまう。
それから、巨大クレイアニメとそれをつくっている(?)人々を写した映像作品《God Bless America》は、個人的には手放しで好きとは思えないのだけれどインパクトがあり、気になって2回周くらい見てしまった。
作者自身のプライベートな体験を元にした「私作品」(私小説とか私映画とか・・のことをこう呼んでみる)に、生理的な嫌悪感を感じる場合と、ほっこりとした心地よさを感じる場合の2パターンがあるのだけれど、《在日の恋人》という作品は後者だった。
個人的な出来事から出発をしても、何らかのメッセージを自分以外の誰かやそれをとりまく社会とか、そこにある問題に対して「発信する」という「姿勢」や「態度」は、アーティストというか表現をする人にとってとても大切なことではないかと思う。
ちなみに、横浜美術館は月曜休館ではないのだけれど、この日はなぜかクイーンズスクエアが設備点検とかで全館休業。
みなとみらい駅を降りたとき、なんだか異様な雰囲気だった。
SCや駅ビルは年中無休が当たり前になってしまっているので、建物全体の店舗が閉まっている風景はちょっとSFのような、つくりもののような不思議な空気を醸し出していて、これもまた、面白い体験だった。
どうぞお掛けになってご覧下さい。
と書いてあります。(イスの張り紙)
卒業制作の展示会が今日・明日開催。
(このブログは告知のツールとしては機能していないので、一応報告だけです。)
今朝、役者3匹を投入して作品は完成→展示しており、写真はその鑑賞方法の図。
展示というと、立ってウロウロ見るものですが、文字通りじっくり腰を据えてというのと、小さい作品なので目線の高さを低くしてもらえればという意図です。
(それほど沢山来場者があるわけではないので他の作品や会場のじゃまにはならないと判断しました。)
以下、提出用企画書抜粋。
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作品タイトル:ナカニワ
<コンセプト>
日本人にとって「庭」とは、美しく整えて鑑賞するだけのものではなく、心の中にある風景や季節の移ろいを毎日の暮らしの中にありながら感じるための「仕掛け」でもある。
その仕掛けを空間として部屋の「ナカ」に入れることで、くらしの「ナカ」の庭―心の中の風景や季節の移ろいを感じる―の楽しみを提案する。
豪華で場所をとる大掛かりなインテリアではなく、カレンダーや時計を掛けるように毎日の暮らしの「ナカ」に溶け込む「ニワ」。
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詳細、報告は終了後に改めて。
太田記念美術館・たばこと塩の博物館
「卒制」の目処もたってきたので、美術館などで学生料金を使えるうちに使おうということで行ってまいりました。
太田記念美術館「浮世絵にみる意匠−江戸の出版デザイン−」
浮世絵にみる意匠−江戸の出版デザイン−
あまり知られていないようなのですが、原宿のパルコの裏あたりというミスマッチなロケーションにある「浮世絵専門」の美術館。
先日、こちらの学芸員の方が講師(浮世絵から見る江戸の園芸について)に来ていただいたこともあり、近頃浮世絵がマイブーム(懐かしい!)となっております。
いやあ、やっぱり浮世絵はおもしろい!
ここではほぼ月代わりで企画入れ替え展示をしているようなので、今後も足しげく通いたいです。(原宿という場所は苦手なのだけれど・・。)
今のところ、動物とか妖怪とか面白いのが多いからというコドモじみた理由で「歌川国芳」がお気に入りです。
浮世絵は有名な作家がかなり限られている(残っていない?)ので、もうちょっと勉強して詳しくなりたいなと。
(何事も登場人物が多いと覚えきれずにモチベーションが下がる性質)
たばこと塩の博物館「小林礫斎 手のひらの中の美 〜技を極めた繊巧美術〜」
同じくミスマッチなロケーションにあり、こちらは知名度はあるものの、なかなか中に入る人は少ない博物館。(実際自分も中に入ったのは小学生の時以来)
このご時世で、「たばこ」を頭に掲げて100円とはいえ入館料をとろうというのがなかなか男気がありますね。
さて、電車広告かなにかを見かけてとても気になっていたこの展示。
明治から戦前にもともとは煙草入れや根付などの職人だった小林礫斎(れきさい)という人の「ミニチュア作品」なのですが、「ミニチュア」という言葉がら連想されるようなシルバニアファミリー的な生ぬるいものではなく、企画案内には
どうぞ、眼精疲労にご注意頂き、愛すべき精巧なミニチュアたちをご堪能下さい。
とあり、入り口には作品鑑賞用の虫眼鏡が置いてあるくらいです。
期待通り、いやそれ以上の物凄さでした。
正直100円は安い。
ホントいいもん見させてもらいました。
米粒に文字とかいいますが、そんなレベルじゃありません。
ゴマに水墨画
です。
ミニミニ箪笥のなかにミニミニ巻物が入っていて、そこにちゃんと文章が書いあったり(虫眼鏡がないと文字とはわからない)、
見ていて感心するのを通り越して思わず笑いがこみ上げてくるくらい小さくて精巧。
というか「精巧」という単語はこういうもののためにあるのだなあと思うくらいです。
そして、もうなんというか、職人気質なこだわりオヤジがこだわりにこだわって好き勝手「追求しまくってる」ところがたまらない。
(お金持ちのマニアコレクターがお得意さんとしてついて、そのオーダーの相乗効果でヒートアップしたらしいです)
絶対好きじゃなきゃできないし、好きでやってる感がプンプンしてくるわけです。
どれもこれも凄い作品でしたが、特に個人的にはヒットだったのは、
1センチくらいのサイズで、全国各地のお寺の印とありがたいお言葉の入った「御朱印帳」。
おそらくそれぞれのお寺の印をごく小サイズで再現して押している・・。ここまでくるともう(敬意を込めて)変態の領域です。
会期が2月27日までなので、本当に行ってよかった(間に合ってよかった)。
かなりお勧めな展示です。
関係ないですが、学割といえば・・・
映画の学割は映画の日やレディースデイ(この単語はなんか違和感があって好きじゃない・・)に比べて魅力的でないので、ミュージアム系以外で他に活用できるところはないかしらんと思って気になったものたちメモ。
昨日広告を見かけたこれ・・
割引というより元の価格を知らなかった(この手の観劇ものに本当に疎いので)。。
バリュー7,500円→5,500円
ワイドビュー9,500円→5,900円
ぱっとおもいつくベタなところ・・
まあ、行くことはないでしょうが。
スチューデントパス通常6,200円→4,800円
キャンパスデーパスポート通常5,800円→4,500円
通常行くことが無いという意味でちょっと気になる・・
宝塚大劇場公演の当日券(A席、B席、立見券)を一律1,500円引き
(※通常料金:A席5,500円、B席3,500円、立見券2,500円)
やっぱり旅行ですかね・・・九州に行きたい。
こんなのも、、たしかに欲しいけどさ・・
と、そのiPodを無料で手に入れるのと同じことに(最大20,900円までキャッシュバック)
残り一ヶ月、けっして安くはなかった学費をちょっとずつでも取り戻すつもりで。。
卒業制作中・・・
「卒業制作」略して「卒制」。
この変換できない略語を再び使う日が来ようとは、10年近く前の学生時代の自分は想像だにしなかったでしょう。
(通常の大学生でいうところの「卒論」が実技系の大学では「卒制」なわけです。)
当時の自分は意欲があるというよりは優柔不断のためインスタレーションと映像という2つの作品をつくりました。
1月にある展覧会のために、出演を頼んだ友人はじめさまざまな人に迷惑をかけ、年末年始を返上して徹夜を繰り返したようなおぼろげな記憶が・・
(夏休みの小学生癖はこの頃から変わらず。。)
話がそれましたが、センモン学校にもあるそうです、「卒制」が。
サイズ等の制限はあるものの、どのような作品にするかは本人の自由ということだったので、盆栽的な作品を作ろうとしています。
(実は、結構迷ったのですが。。)
本当は、展示期間に向けて前から養生しておくのが理想なのですが、やはりどうしても直前になってしまいますね。。
ということで、素材を求めて、園芸店やらホームセンターやらをみてまわり、盆栽といえば盆栽村だろうということで、大宮にも行ってきました。
基本的に冬は樹木も草花も休眠期なので、当然オフシーズンというわけで、植物というより鉢(器)を探しに。
・・まず、今年の夏に行った時との差に驚きました。
植物(盆栽)は四季と深くリンクしているとはいえ、本当にここが同じ場所か?と思うほど別世界。
そんななか、いいかんじの器をいいかんじの値段で見つけてGet!
盆栽屋さんで手作りで販売している焼き物だそうです。
この日はせっかく大宮まで来たので、水石の企画展をやっている盆栽美術館にもふたたび行ってきました。
平日昼間しかも冬場ということで、殆ど人もなくゆったりじっくり見て回れました。(そもそもそれほど広い敷地ではないので)
しかも天気がとてもよかったのでとても気持ちよかったです。
そんなこんなで、作品はほぼほぼできつつあります。
パーツとしてはこんなかんじで・・・
まあ、なんだかんだ最後なので、悔いの無い様好き勝手やらせていただきます。
江戸東京博物館「横山松三郎展」
「江」の特別展も見てきましたが、メインはこちらの「横山松三郎展」
(このURL、会期がおわったら次のに差し替わってしまいますね)
横山松三郎
企画の解説によると、「幕末から明治という日本の転換期に、写真や石版、油彩画など、西洋から伝来した当時最先端の様々な知識や技術を独自に研究、習得し、多様な芸術表現を試みた人物」とのこと。
実は今回展示を観にいくまで、この人物については知らなかったのですが、がかなり興味深くおもしろい展示でした。
展示の中心は写真の資料で、サイズや数量は限られていますが、とてもすごい。
写真といっても今のようなフィルム→印画紙状のものではなく、ガラス板に薬剤を塗ってそれが乾ききらないうちに撮影する。というとても繊細な作業工程でできたもの。
機材も知識もテクニックも相当なものが必要だったであろうことが想像されます、、。
本展では江戸東京博物館が所蔵する「旧江戸城写真ガラス原板」(明治4年/1871)、「壬申検査関係ステレオ写真ガラス原板」(明治5年/1872)を初公開いたします。横山松三郎撮影によるこれらの撮影ネガは、当時の江戸城や文化財の状況を知ることのできる貴重な資料として、重要文化財に指定されています。写真撮影そのものが困難であった時代、今から140年前もの昔のネガが残されていることは非常に珍しく、必見です!
(企画展サイトより)
これはもう本当に。写真の技術が入りたての頃のネガが残っているという点と、江戸幕府が終った直後の江戸城(皇居)の様子が記録されている、という二つの意味で珍しく貴重な資料。
セルフポートレートも何枚かあるのですが、ちょん髷+袴のものあれば、いわゆる散切り頭というか今みてもおかしくないようない髪型+服装のものもあり、彼の生きた時代を感じることができます。
しかも、本業の写真館の仕事だけに留まらず、日光の自然や、奈良の東大寺の宝物、江戸城の撮影にも出かけていて、廃仏毀釈で文化財などが壊されたり、社会や人々のくらしも激変したであろう時代の「記録」も担いながら、一方で写真と油絵をコラージュするなどの「表現」や様々な技法の「実験」にも手を出している。
扱うメディアがマルチなだけではなくて、彼のスタンスやモチベーションもマルチだったのではないかと思う。
そしてそれは「江戸」から「明治」という時代で何かを成し遂げようとする人に共通している要素のような気がする。
きっとそれを意識しようとしまいと、そうならざる得ない時代だったのかもしれない。
昨日たまたまNHKで月岡芳年の番組を見たのですが、そこにも『「江戸」から「明治」』というテーマが。
それまでの常識がそうじゃなくなって、新しいものが否応無く押し寄せてくる。
世の中の空気に敏感な人はそれだけ受ける衝撃も大きくて、それがアウトプットされたものたちがただならぬ何かを持っているのは当然といえば当然なのかもしれない。。
ジャンルやスタンスは違えど通ずるものを感じます。
常設展「うさぎ」のミニ企画コーナー
小さいながらも秀逸でした。
どうやら明治初期の東京で「大うさぎブーム」があったらしく、(変わり朝顔などと同様)めずらしい毛色や模様のうさぎが高値で取引されるようになり、「うさぎ番付」が発行されたり、珍しいうさぎを巡って殺人事件まで発生してしまったり・・と大変な騒ぎに。
ヒートアップしすぎたブームを抑えるために東京都が「うさぎ税」として一羽一円という当時としてはかなりの高額な税金かけるようになると、それを払えない人々がうさぎを隠したり食べちゃったり、夜逃げしちゃったり・・などなどしてブームは過ぎ去ったそうな。
これもやっぱり『「江戸」から「明治」』という大激変に対する人々や社会の不安が関係していたみたいです。
一応「江」も・・
かなりの質とボリュームで楽しめました。大河企画にも関わらずさほど混雑していなかったのもよかった。
にしても、戦国の人物相関図は複雑で困る。。そう思うと、歴史を消化するのに「物語」ほど適しているものはないんだなあとも思う。(テレビドラマに限らず。小学校の時図書室にあった「まんが日本史」の絵が当時の私にもう少し魅力的なものだったら、その後高校の日本史で落第点とったりしなかったかもなあ・・。まあ、もっとその後大河ドラマや城やらにはまるなんて想像もつかなかったけど笑)
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東京都江戸東京博物館
http://:title=http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
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