江戸東京博物館「横山松三郎展」

「江」の特別展も見てきましたが、メインはこちらの「横山松三郎展」
(このURL、会期がおわったら次のに差し替わってしまいますね)

横山松三郎

企画の解説によると、「幕末から明治という日本の転換期に、写真や石版、油彩画など、西洋から伝来した当時最先端の様々な知識や技術を独自に研究、習得し、多様な芸術表現を試みた人物」とのこと。

実は今回展示を観にいくまで、この人物については知らなかったのですが、がかなり興味深くおもしろい展示でした。

展示の中心は写真の資料で、サイズや数量は限られていますが、とてもすごい。

写真といっても今のようなフィルム→印画紙状のものではなく、ガラス板に薬剤を塗ってそれが乾ききらないうちに撮影する。というとても繊細な作業工程でできたもの。
機材も知識もテクニックも相当なものが必要だったであろうことが想像されます、、。

本展では江戸東京博物館が所蔵する「旧江戸城写真ガラス原板」(明治4年/1871)、「壬申検査関係ステレオ写真ガラス原板」(明治5年/1872)を初公開いたします。横山松三郎撮影によるこれらの撮影ネガは、当時の江戸城文化財の状況を知ることのできる貴重な資料として、重要文化財に指定されています。写真撮影そのものが困難であった時代、今から140年前もの昔のネガが残されていることは非常に珍しく、必見です!
企画展サイトより)

これはもう本当に。写真の技術が入りたての頃のネガが残っているという点と、江戸幕府が終った直後の江戸城(皇居)の様子が記録されている、という二つの意味で珍しく貴重な資料。

セルフポートレートも何枚かあるのですが、ちょん髷+袴のものあれば、いわゆる散切り頭というか今みてもおかしくないようない髪型+服装のものもあり、彼の生きた時代を感じることができます。

しかも、本業の写真館の仕事だけに留まらず、日光の自然や、奈良の東大寺の宝物、江戸城の撮影にも出かけていて、廃仏毀釈文化財などが壊されたり、社会や人々のくらしも激変したであろう時代の「記録」も担いながら、一方で写真と油絵をコラージュするなどの「表現」や様々な技法の「実験」にも手を出している。

扱うメディアがマルチなだけではなくて、彼のスタンスやモチベーションもマルチだったのではないかと思う。
そしてそれは「江戸」から「明治」という時代で何かを成し遂げようとする人に共通している要素のような気がする。
きっとそれを意識しようとしまいと、そうならざる得ない時代だったのかもしれない。


昨日たまたまNHK月岡芳年の番組を見たのですが、そこにも『「江戸」から「明治」』というテーマが。
それまでの常識がそうじゃなくなって、新しいものが否応無く押し寄せてくる。
世の中の空気に敏感な人はそれだけ受ける衝撃も大きくて、それがアウトプットされたものたちがただならぬ何かを持っているのは当然といえば当然なのかもしれない。。
ジャンルやスタンスは違えど通ずるものを感じます。

常設展「うさぎ」のミニ企画コーナー

小さいながらも秀逸でした。

どうやら明治初期の東京で「大うさぎブーム」があったらしく、(変わり朝顔などと同様)めずらしい毛色や模様のうさぎが高値で取引されるようになり、「うさぎ番付」が発行されたり、珍しいうさぎを巡って殺人事件まで発生してしまったり・・と大変な騒ぎに。
ヒートアップしすぎたブームを抑えるために東京都が「うさぎ税」として一羽一円という当時としてはかなりの高額な税金かけるようになると、それを払えない人々がうさぎを隠したり食べちゃったり、夜逃げしちゃったり・・などなどしてブームは過ぎ去ったそうな。
これもやっぱり『「江戸」から「明治」』という大激変に対する人々や社会の不安が関係していたみたいです。

一応「江」も・・

かなりの質とボリュームで楽しめました。大河企画にも関わらずさほど混雑していなかったのもよかった。
にしても、戦国の人物相関図は複雑で困る。。そう思うと、歴史を消化するのに「物語」ほど適しているものはないんだなあとも思う。(テレビドラマに限らず。小学校の時図書室にあった「まんが日本史」の絵が当時の私にもう少し魅力的なものだったら、その後高校の日本史で落第点とったりしなかったかもなあ・・。まあ、もっとその後大河ドラマや城やらにはまるなんて想像もつかなかったけど笑)


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東京都江戸東京博物館
http://:title=http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
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