宮崎あおいが好きだ、
ただそれだけ。
OLYMPUS PEN の新しいCMに見とれて、しみじみ再認識。
音楽も好きです。
CM用のオリジナルで作曲は菅野よう子だとか。成る程どうりでいい曲。(唄っているのはar(アル)というバンドのヴォーカリストでクボアツシという方だそうな。)
自分のあおいちゃん好きはかなり前からちょっと病的なくらいで、周囲にも知られておりますが、改めて何故にそんなに好きなのか、考えてみる。
(アラサー女子がわざわざブログに書くべきことなのかは置いておいて・・・。)
<宮崎あおいを好きな理由>
- かわいい
- 声がいい(台詞よりも朗読・・のような?)
- いろんな笑顔のバリエーションがあってそれぞれがいい
- 真顔もいい
- 透明感
- 顔に幼なさがある(年齢的なものを超えた。永作博美的な)
- 目ヂカラ
- 知能とか計算高さとはちがう「賢さ」(聡明さ?)とあどけなさが同居している
- 「役者」「被写体」としてのピュアな質の高さ→(余計なもの、例えば実際の本人がどんな人でプライベートがどんなだとかが”良い意味で”見えてこない)
- かわいい
- かわいい
- かわいい
(以下略)
でも、静止画で顔だけ取り出してじっくり見てみると、「完璧美」(こんな言葉あるのか?)ではないとも思う。
例えば、OLYMPUSの広告も前回のシリーズでは、カメラの広告らしくファッションモデルのような「洗練された」尖った衣装やメイクで、これはこれで美しかったのだけれど、個人的には若干の違和感を感じた。
自分の持っているイメージと違うとかいうことではなく、なんだか「もったいないな」と。
極端に言えばこの表現だったら被写体は彼女じゃなくてもいい。顔とスタイルが整っていればそれで成り立ってしまう。
そういう意味で、今回のOLYMPUSのCMは被写体は宮崎あおいでなければ成り立たない。そして前回より格段に良く彼女らしさ引き出しているのではないかと。
やっぱり「声」かなあ。
映像でのナチュラルさと対照的な「気を張ってる」感。
決して不自然というわけではなくて、言葉(自身から発するのではなく台詞として用意されたもの)に何かを込めながら音として発しているような感じがする。
「カラフル」のブサイクな女の子役の声もよかったし。
そういえば、一般に彼女のデビュー作は「害虫」とされているようですが、個人的には「EUREKA ユリイカ」で初めて見たときの衝撃が忘れられない。
たぶん当時10歳がそこらだろうから、かわいいとかそういうことよりも、その存在感に「末恐ろしさ」を感じたものです。。
「お芝居」については自分はまったく判断基準を持ち合わせていないので何も言及できないけれど。
CMジャンルに戻ると、各社それぞれ違った使い方をしていておもしろい。
アフラックはみんな持っている「きれいかわいい」「さわやか」イメージをどストレートに極めている。
一方で、いまや定番となった earth music & ecology (ちょうど一年くらい前?)は、アフラックのそれとは違う面をいきなり見せてくれたインパクトもあって大きな話題になったのではないかと。(映像の作りの妙もさることながら)。
このシリーズ、しょっぱなが大成功だっただけに、これをひっぱりつづけるとなると大変だろうな(ブルーハーツの名曲は沢山あるから大丈夫といえば大丈夫かもしれないけれど)と勝手に思っていたら、新しいバージョンは、60年代ときたもんだ。
ともあれ、今更言うまでもないことですが、宮崎あおいは静止画でもかわいいのだけれど、映像になるとそのパワーたるや計り知れない。
思わず、
「こんな娘を撮りたい」
という衝動に駆られる。
そういえば自分が映像を志したのにはそんな「下心」があったような気がする。
「ものがたり」よりも、風景、人物、音としての言葉、イメージとしてのしぐさ…
そんなものを「切り取っておきたい。」という気持ち。
PENのCMはコピーも好き。とてもストレートでひねらずに王道だけれど。
この空気を / この匂いを / この光を / どうか / 忘れませんように