園芸福祉(高齢者を対象とした園芸療法)
(※昨年に受けた全6回の講義の記録になります。。)
「福祉」というコトバには様々な領域が含まれますが、今回の授業では
「高齢者を対象とした園芸活動(園芸療法)」
をテーマとしています。
- 日本の人口に占める65歳以上の割合は17%⇒※授業内容ではこの数字でしたが、総務省のデータによると平成22年の数値は23.1%のようです。
- 同じく14歳以下の割合は13.2%
いわずと知れた『高齢少子』の状態です。
体験「うらしま太郎」
高齢者の特徴として
- 視覚が弱まる(70歳以上の60%が白内障に。⇒淡い色、ブルー、藤色がわかりにくくなる)
- 聴覚が弱まる(特に高い音は聞こえにくい。女性は低い声でゆっくり話すといい)
- 味覚が弱まる(このことから、自炊の場合に塩分を取りすぎになりやすい)
- 物忘れをするようになる
等がありますが、いったいどうなるのか?身をもって体験できるプログラムを体験。
その名も「うらしま太郎」
愛称の「うらしま太郎」は浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱にちなんでいます。
セットのカバンを開けて用具を装着するとたちまち高齢者(75歳〜80歳)に変身してしまうことから名前をつけました。
(中略)
世代の異なる人々が加齢に伴う高齢者の肉体的心理的変化がどんなものであるかを擬似的ながら実際に体験することによって理解することができます。
手足のサポーターや手袋、チョッキ、めがね、耳栓など、ありとあらゆるものを身に付けることで、「高齢者の体」を体感することが出来るこのセット。
イラストはライトなテイストですが、さにあらず、なかなかヘビーです。文字通り。
ドラゴンボールで悟空が修行のために腕とか足に重りをつけていて、本気になると「ドスン」とはずして敵がビビるみたいなシーンがあったかと思いますが、まさにそんな感じです。
安全上の理由から装着は左右どちらかの片側のみですが、両方つけたら本当に身動きできなくなるのでは?ってくらい。
これを装着して、学校内の階段を登ったり降りたり、プランターに水をやったりしてみたところ、本当におどろくほど何も出来ない。
特に自分が感じたのは白内障体験めがねによって、色や形が見えにくく、というよりも殆ど判別できない(ピンクとオレンジ、青空と曇り空が見分けられない)ということで、いかに日常視覚に頼っているかを実感。(実際の症状はそれぞれ異なるものとは思いますが)
そして、こういった五感も含めた身体的な「重り」を取り付けることによって、心理的にも「重り」がされてくる。ということがあるようです。
見えない、聞こえない、わからない→興味が薄れる。というネガティブな連鎖を起すことに。
よくお年寄りは頑固だとか、我儘になるとかいう話を聞きますが、こういったことも関係しているのかもしれません。
園芸療法とは?
園芸療法は「リハビリテーション Rehabilitation」=「機能訓練」
のひとつとされています。
Re habilitation
再び 習慣など
世界では、英・米国がとくに力をいれているそうです。
ただ、双方で発祥と考え方は微妙に違っていて、
【英】:園芸活動をすることは当たり前のこと(日常)だから、それが出来なくなってしまった人に対しては手助けをしてできるようにしようという、どちらかというとボランティア思考。
【米】:ベトナム戦争の負傷兵に対し無償で講習を行い、「マスタガーデナー」という称号を与える。「園芸療法士」が職業として確立され、公共の場のメンテナンスなどを無償で行なう。
この「園芸療法士」という概念がその後日本に持ち込まれたようです。
(授業のノートでは上記ような内容なのですが、「マスタガーデナー」の制度?について詳細は不明なところもあり、ネット上でも調べてみたのですが、あまり情報が無いようです。。)
日本でも昔から「園芸療法」に似た取り組みはされていたが、ハンセン病・精神病の施設で行なわれていたため、閉ざされていて表向きにされてこなかったようです。
<医療現場での役割とその名称>
- PT(Physical Therapy(ist))=理学療法(士)
- OT(Ocational Therapy(ist))=作業療法(士)
- ST(Speech Therapy(ist))=言話聴覚療法(士)
- Rec(Recreation)=レクリエーション、余暇活動、趣味
※PT、OT、STは国家資格。また療法を受ける際は医療保険の適用範囲内となる。
「園芸療法」は日本では「Rec」に分類される。
高齢者医療の現場で「クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life,:QOL)」の向上や、「ADL(Activities of Daily Living=日常生活動作)」の回復が重要視されるようになり、「園芸療法」も注目されてきているようです。
「園芸療法」になにが期待されているのか、授業では「マズローの欲求段階説」に沿って説明がされました。
マズローの欲求(要求)階層ピラミッド
マズローは、人間の基本的欲求を低次から
1. 生理的欲求(physiological need)
2. 安全の欲求(safety need)
3. 所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
4. 承認の欲求(esteem)
5. 自己実現の欲求(self actualization)
の5段階に分類した。(中略)これらの欲求が満たされないとき、人は不安や緊張を感じる。「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。
(中略)欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとした。例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、例えば病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、一時的に段階を降りてその欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、再び元に居た欲求の段階に戻る。このように、段階は一方通行ではなく、双方向に行き来するものである。
「園芸療法」で実現しようとするのは「3. 」より上位の欲求。
直接的な医療や介護で実現できるのは1.や2.なので、そこから先の段階への足がかりという位置づけです。
高齢者に対して園芸療法でできること?
たいせつなこと
- 「受容」=「受け容(い)れる」こと
- 尊重の念(高齢者=「人生の先輩」であること)を忘れない。
- 手よりもまず「声」を先に出す。(まずは声をかける)
- 否定的な表現をしない(否定的な言葉は人の意欲をなくす)
- 作業の内容、扱う植物についてきちんと説明をする→クライアントを尊重する→次につながる。
→総合的な知識とそれを表現できるコミュニケーション能力が不可欠
- 15分くらいのトークで「やってみようかな」という気持ちにさせる。クライアントの注意を引く、興味を持ってもらうメニューを考える(傾向としては、食べられるもの、馴染みのあるものが好まれる。特にクライアントが触れた経験のある物事は会話が広がる)
また、「たとえ話」や「ものがたり」は多くの人が求め、興味をもつもの。→単なる技術や知識だけではNG。
- 「社会的欲求を満たす」という意味で、園芸と他の活動(美術、音楽、その他・・)との違いを考える。→他の活動にはない「良いところ」をどうやって持ってくるか。
クライアントの感情を揺り動かすために、どうすればいいか。どこに誘導するか。そしてそれを園芸でどう実現するか。
認知症になっていても、「できなかったことができるようになる楽しみ」には反応があり、その達成感は自己実現・自信につながる。
そしてその対象はできるだけ「平和的」で「シンプル」なほうがいいといわれているので、そういった意味で園芸はとても受け入れられやすいもの。
収益を考える
園芸に携わる人はお金のことを考えるのが苦手なことが多いようです。が、生業としてやっていくには避けて通れない問題。
そしてなにより、ここがうまくいけば、「続ける」ことができるという双方のメリットに繋がります。
ポイントは単純
- 損益分岐点を引く
- 「しくみ」を考える
の二点。
ただし、対象にする高齢者は多くが「非生産者」であり、財源は年金や医療介護保険料。個人差はあれど、決して「裕福ではない」ということを念頭におくこと。
プログラムをルーティンで回せるようにすることで資材や花材をうまく仕入れるなど、工夫が必要なようです。
そして双方がhappyで、かつ「続ける」ことができる「しくみ」を考えるというのがポイントのようです。
最後に、「園芸療法」を売り込む場合、どうしたらいいか?ですが、日本ではそもそも職業として確立されていないため、たやすい道ではないようです。
病院:色々なしがらみがあり、とっかかりにくい。。
施設:まずはボランティアとしてきっかけをつくる。
その他:自治体の社会福祉協会などで問い合わせ、調べてみる。
「園芸療法」の出入り業者としての資格等は不用。
必要なのは「園芸技術」と「ボキャブラリー」、そして「コスト感覚」だけ。
所感のような
友人に、大学で福祉系の勉強をして、そういった施設で働いている人がいます。
あるとき彼女は異動で園芸療法の専任担当になってしまい、園芸作業のプランを作って運営し、畑や花壇のメンテナンスを一手に引き受けることになってしまいました。それでも彼女は園芸については全く知識も経験もなかったにも関わらず、熱心に勉強をしてその仕事を一生懸命やっていました。(その後また異動があり、通常の介護の仕事に戻ったようですが。)
「温室と倉庫が自分専用の仕事場」と聞いて、何もわかっていなかった私は「マイ温室なんてなんだかナウシカみたいでうらやましいなあ」なんて思ったりしたものです。
たしかに「園芸」だけを取り出して売り物とするのは、大変なことが沢山あるだろうなと思います。
ただ、彼女のようにせっかく別な分野での知識や技術がある人が園芸だけを担当するのも勿体無い。(本人は結構愉しんでいましたが・・)
そうかといって施設側ではそんなに沢山の職員や設備を抱えておくわけにもいかないのもわかります。
「園芸療法」の需要、嫌な言い方をすれば「マーケット」が拡大するであろうことは明らかではあるものの、そのもの自体やそれをとりまく色々な「しくみ」のなかで誠意を持ってやっていくのはなかなか大変。。
・・ひらたくいえば、「商売になりにくい」というだけかもしれませんが、なんだかそこに、うまい「発想の転換」が加われば、みんながハッピーになれる可能性はあるような気がするのです。。
じゃあ、それを自分がやっていきますか、というと、、、今のところまだノーアイデアなのですが。。
あきらめる(新年の抱負)
新年早々ネガティブなタイトルの出だしですが、例のごとく個人的な長文メモとなります。あしからず。
<2011年の個人的な抱負>
- 1 事情や理由を明らかにする。はっきりさせる。
- 2 心を明るく楽しくする。気持ちを晴れやかにする。
- 3 今自分ができることだけ考える。できないことはあきらめる。
凹み初め
恐らく世間一般よりかなり長い年末年始休暇だったのにも関わらず、怠惰の限りを尽くした挙句、小学生の夏休みの宿題のように、終わり際まで残しておいた個人的なとある事を、つい数時間前に焦って無理矢理実行に移し、案の定、返り討ちに遭い凹んでいる正月3日目です。
・・・何のことやらサッパリ意味不明ですね。
具体的な状況説明はちょっとしにくいので、以下、自分の考えたことだけ書かせてもらいますがご容赦を。。
下心
「ひとのせいにしちゃいけない」という火を見るより明らかなことがわかっていなかった、というかやはり、どこかに「下心」、甘えのようなものがあったのでしょう。
30才前後で仕事やらなにやらが調子に乗ってきて、各所の芝も青々と見えるシチュエーションに出会うにつけて、自力ではないところに大部分を頼ろうとする「下心」を抱くようになっていたのではないかと。
ここしばらくの自分の「中2病」的な悶々状態の原因がこのあたりにありそうです。
知識も経験も経済力もない中学2年生らしい考え!
それに加えて、見切り発車の路線変更。
計画性はなくとも、せめて「具体的な志」があればよかったのですが、どうもイマイチそれがはっきりとしない。
ぼんやりとしたままで、どの方向にどうやって出したらいいのかわからずにいます。
「志」という漢字には、下に心があるのですが・・・。
後先のことを考えないで、今"だけ"
格言だか映画のタイトルで「今を生きる」とかいうのがあった気がしますが、今日のところの結論としましては、
「今"だけ"を生きる」
かなと。
どうにもできないし、どうなるかわからない後先のことを考えても、暗くなるだけで何にもならない。
あまりにも月並みすぎるし、今更すぎるのですが、今日のところはそこに帰結しました。行って帰ってというか、一周ぐるりとまわって?
もちろん、どうにかできる後先のことは考えます。夕食の献立とか。
***
以前もちらりと書いた、
「身体的な感覚を伴わない刺激(=無駄な考え事)はあまり無い方がいい。」
これはやっぱり正しいなと。
***
もちろん、
「目を逸らさず考えなきゃいけないこと」
「考えて準備した方が有利なこと」
そういうものがいくつか(沢山?)あるのはわかっているけれど、それに引っかかって立ち往生したり、中2病になったり、自棄になってトランス脂肪酸過剰摂取してても仕方が無い。
今感じることができる身体的な感覚と刺激を優先させよう、というわけです。
ご利用は計画的に
「下心」を抱くのであれば、それを叶えるだけの「蓄え」を自力でつくれるようになってから。
お金の計画やら、環境づくりなど。
それができないなら、変な気は起さない。
人任せにしないで変な期待もしない。あくまで自力で。
これもまたアホみたいに当たり前な話ですが。。
諦めてみたら?
ところが、どうも自分はそのあたり(貯金などの将来計画)は不得意なようです。
ということで、ここについては「諦める」ことにしようかと。
特定のイメージや近所の青い芝に無理に追いつこうという「下心」を抱いたり、いろんな情報や状況の「脅し」に惑わされて余計な先の心配をしたりしないで「諦める」。
(そのものズバリを書くと実もフタも品もないのでモヤモヤした表現にとどめます。)
諦めてみたら、なんだかちょっと気が楽なようにも思えてきました。
意外と簡単です。
***
「あきらめる」のがいいんじゃないかしらと思い、例の如く辞書で調べてみると、別な漢字で書くと、違った意味があるもよう。
あきら・める【明らめる】
[動マ下一][文]あきら・む[マ下二]
1 事情や理由を明らかにする。はっきりさせる。
2 心を明るく楽しくする。気持ちを晴れやかにする。(「デジタル大辞泉」より)
いいじゃない、明るく楽しく晴れやか!
***
ということで、「明らめる」の辞書的な意味を2つ今年の抱負にそのまま採用。
- 1 事情や理由を明らかにする。はっきりさせる。
- 2 心を明るく楽しくする。気持ちを晴れやかにする。
- 3 今自分ができることだけ考える。できないことはあきらめる。
3については、冒頭の凹みエピソードにつながるのですが、自分が色々(仕事に対する姿勢とか方向性)を決められない理由として、都合よく引き合いに出していた、ごく個人的ないくつかの事柄についてです。
長々と御託を並べてきましたが、要するに、これをしばらくは棚上げというか、「諦める」ことにしようかと。
「諦める」ことで・・・
身の回りの近しい人たちには、ちょっと「ゴメンナサイ」なのと、自分の意思ではどうにもならない「タイムリミット」に間に合わない可能性が否めないけれど、それはそれで、それも諦めたらいいだけのこと。
意外と簡単です。
もしかしたら間に合うかもしれないし。
***
・・・とまあ、ぐにゃぐにゃとわけのわからないヘリクツを捏ねていますが、おかげさまをもって心身共に至って健康です(笑)。
本年もどうぞよろしくおねがいいたします。
埼玉県こども動物自然公園
お正月恒例動物園めぐり。
埼玉県こども動物自然公園へ。
コアラの飼育、繁殖では国内でもトップクラスとのことで、去年生まれた赤ちゃんも。
しかも色々工夫がされていて、起きて動き回る姿に出会えます。
動物大行進(パレード?)
「ビアトリクス・ポター資料館」が併設されているので、ピーターとベンジャミンもいます。
虎から兎へ!ドキドキの「引継ぎ式」。
とても高い木の上にいるレッサーパンダ
にゃんこ?
おまちかね、コアラの餌やりタイム!
せっかくなので、小江戸川越も行ってきました。
【追記】
そういえば、動物園で「先着500人限定新春プレゼント」をGETしたのでした。(ひそかに狙って楽しみにしてたり・・)
今年の干支、兎のピンバッジ!
・・・あんまり・・・かわいくない・・・?(笑)いやいや、そんなことはありません。ちゃんとカバンにつけましたから。
「キュウシュウノウサギ(九州野兎)」という日本に住む野生のウサギの仲間だそうです。
正月花
お正月の由縁
正月は、「年神」さまを家に招き入れる行事として行なう。
「年神」は神道でいう「八百万(やおよろず)の神々」のひとり。
家の外には『門松』、中には『正月花』を供える。
門松に松が使われるのは、「常盤木(ときわぎ)」=常緑樹であることから、絶えることが無い、永遠などを表すとされている。
神様にささげるものを「供物(くもつ)」と呼ぶ。
伝統的な年中行事を行う日が「節句」というが、これは「節供」から転じたものらしい。
正月の代名詞ともなっている「おせち」のい語源は「御節」で。もとは節日(せちにち)ともよばれる暦上の節目につくられる料理だったが、正月のものだけが一般的に伝わっている。
<五節供>
もともとは中国大陸から伝わった暦上の節目。中国では「陽数」といって奇数が縁起が良いとされ、それが重なる日が節目とされている。
※日本では徳川の時代から「人日(じんじつ)」の1月7日を節供とするようになった。
千両万両有り通し
お正月の植物として有名な「センリョウ」「マンリョウ」は、花や実の少ない冬の季節に赤い実を豊かにつける貴重なもの、その価値は千・万両金に値するという語源から。
万両〜一両までの別名を持つ植物がある。
- 万両:マンリョウ(ヤブコウジ科 Ardisia crenata Sims)
- 千両:センリョウ(センリョウ科 Sarcandra glabra Nakai)
- 百両:カラタチバナ(唐橘 ヤブコウジ科 Ardisia crispa)
- 十両:ヤブコウジ(ヤブコウジ科 Ardisia japonica)
- 一両:アリドオシ(蟻通し アカネ科 Damnacanthus indicus)
一両の「アリドオシ」は葉に鋭い棘があり、「蟻も刺し通す」という意味と、実が翌年まで持つので「ありどほし」という説がある。
千両、万両と並べることで、「千両万両有り通し」としておめでたい取り合わせとされる。
※センリョウとマンリョウの見分け方は、実の成る位置。葉の上になる方が千両で、千両よりも重い万両は葉の下に成る。